【寺息子流人生論】僕なりの「豊かに生きる」をまとめてみた【 #Cplus 】

急にテーマが「人生論」に傾倒しているんだけど、とあるプログラムに参加しているので、その中で考えたことと、表現したことを、文章としてオープンソースにしたくて、書いております。

次なるZoomの舞台へ上がるのは誰だ!?「Cplus(シープラス)」第1期プログラムキャスト募集! | NPO法人コモンビート

もともと、リアルのミュージカルを、全くの一般の人が作るプログラムを今年の2月までやっていたのですが、今は新型コロナの影響で、オンライン化せざるを得ない、という流れで、オンライン劇をやってやろうじゃないか、という意欲的なプログラムです。

※過去2回感想文を書いたので、気になる方は合わせておよみください。

僕らは【コモン】を創れるか【カオス】に終わるか。#コモンビート – しまさんのお寺 結局、ボクらは理解はできない。でも努力はできる。#コモンビート – しまさんのお寺

その中でのテーマが「豊かに生きる」。先日のプログラム初日、それぞれが考える「豊かに生きる」を表現するワークショップがありました。

ワークショップで書いたホワイトボード

それぞれの参加メンバーの「豊かに生きる」を表現していたのですが、僕も表現したので、伝えきれなかったこと含めたことをまとめつつ、とはいえ自分自身がその「豊かに生きる」ために足りない要素について考えてみたことを書きます。

「知足」という諦念

最初に、僕が思う「豊かに生きる」を表現するときに取り上げたのは、「唯ダ吾レ足ルヲ知ル」でした。

じつは身近な仏教用語|日蓮宗ポータルサイト

僕はこれを取り上げたときに「身の丈を知る」「満足を知る」と説明して、生活が豊かに生きることの1要素だよね、と全体で言ったのですが、それでは不足だなと感じました。

求不得苦」からの解放

正確に伝えるには下記のように伝えるべきだったと少し後悔しておりますが、むしろ下記を把握すれば意味が分かるのではないかと思います。

「唯ダ吾レ足ルヲ知ル」・・・「無欲であれ」ではなく、あくまで「足るを知る」であり、自分の満足とはどこまでか、わりきれる、妥協ポイントはどこなのかを把握していくことで、求めているものが手に入らない苦「求不得苦(ぐぶとっく)」といいます)から解放される、ということです。

自分レベルの、サイコーを目指す

一方で、「自分のレベルを知り、そして日常生活の中で、一番や一流を目指しましょう。」という言葉にある通り、「現状がサイコーな状態」を目指す、今を最高の状態にする生き方を忘れてならない、ということが豊かに生きる要素に入ると思うのです。

僕なりの「知足」として、こんな解釈をしているし、人生においても、足ることを知る、の重要さは日々感じます。あとは意識の持ちようでしょうか。

「探し物があるのではなく、出会うのものすべてを待っていた」という姿勢

とここまで、いかにも「お寺の息子」らしいことをのたまったわけです(笑)。

しかし、僕としてはもう一つ信奉している理念があって、それも紹介しました。前から何度も登場していた「甲本ヒロト論」です。

その中でも「豊かに生きる」に適合するものが二つあったので、それを紹介しました。

一つ目はザ・クロマニヨンズの「生きる」

特に紹介したのは、見出しにも入れた下記の歌詞です。

探し物が あるのではなく
出会うものすべてを 待っていた
見たいものと 見せたいものばかり
(中略)
見えるものだけ それさえあれば
たどり着かない 答えはないぜ
ずっとここには ずっとここには
時間なんて なかった

ザ・クロマニヨンズ「生きる」より

おそらく、「将来が不安」「見えない恐怖」ということが、今ほど話題になってきていることはないと思います。

病の怖さ、いつ叩かれるかわからない空気、常時社会と接続されている感覚、シンギュラリティ…社会課題は山積み、と僕もさんざん聞かされているわけです。「VUCAの時代」という言葉もあるくらいです。

この記事にも書きましたが、「1億総死亡予備軍」な時代だと思います。どのように死ぬかは多様であるにせよ。

甘いPOPソングよりも現代でサバイブする哲学を持ったロックが最高に癒されるっていう話 – しまさんのお寺

「生きる」

そんな世の中でも、この姿勢があれば大丈夫だ、と思えるものがこの曲に詰まっていたのです。

未来はわからないけど、出会うものすべてを待っていた」し、その出会うものは「見たいものと見せたいものばかり」だと思っている、挑んでいく。

そして「僕に見えるものだけ、そこにあるもので、たくさんのものが手に入る。人生はヒントだらけなんだぜ」と。そう思っているから人生を楽しめるし、永遠に夢を追いかけられ続けられる。今を楽しめる。

いつでも来るもの、なるもの、起こること、何もかも「僕は待ってたんだぜ、楽しみにしてたんだぜ」という気持ちの持ちよう、というのを人生の豊かさとして、一つ要素としてとりあげたのです。

「何が楽しいか知っている」という自己理解

ただ、これだけでは「じゃあ具体的に何をすれば人生は豊かなのか?」という問いには答えられないのです。

その問いに答えるのが、もう一つの要素として取り上げた、ザ・ハイロウズの「即死」に出てくる歌詞でした。

曲について、 詳しいことは下記のnoteにたっぷり書いたので、ここでは「豊かに生きる」要素として関連する部分を書こうと思います。

何が正しいか知らない 何が楽しいか知ってる ということ|しまさん|note

「人生の豊かさ」に必要性が高いなと思うのは、「自分の人生、自分で手綱を引っ張っている感覚」「自分が楽しい、と心から思えること」だと思います。

もちろん、マインドも大事ですが、「思ったことを思ったように楽しんでできること」が「人生の豊かさ」においては外せない要素、です。

そんな要素について、明瞭に示しているフレーズが、

ああしなさいとか こうしなさいとか もううんざりだよ
ああしなきゃとか こうしなきゃとか もううんざりだよ
何が正しいのか知らない 何が楽しいか知ってる

ザ・ハイロウズ「即死」より

というわけです。

「もううんざり」なこととか「何が正しいか知らない 何が楽しいか知ってる 」ということとか、理解して行動している、というのが「自分の人生、自分で手綱を引っ張っている感覚」につながるんじゃないかと。

なので、今回取り上げたのです。「豊かに生きる」ためにも、「何が楽しいか知っていて、それをどうすればできるか」を把握していることって大事じゃないか、と。

「ありもしないフツー、マトモ」なんかダセーよ

実は、この歌詞だけではない部分にも「豊かに生きる」に大事なフレーズが入っています。

ありもしないフツーだとか ありもしないマトモだとか
まぼろしのイメージのなか
まったくダセーよ

ザ・ハイロウズ「即死」より

世にいう「ふつうは」とか「まともな」とか、「まったくダセー」と言い切る姿勢もなかなか強気ですが、何より、「ありもしない」ことでもあるのです。

時代によって、「フツー」は変わるし、「マトモ」なんて空気が作り出すものでしかないし、そんなものに縛られるのは「まったくダセーよ」と。

人のことをつまはじきにするとか、そういうことじゃなくて、人が勝手に決めたことに踊らされる必要なくない?ということを伝えたいんだと思います。

インストールできていない、焦りについて

ただ、上記のような話をしたうえで、「じゃあお前はどうなんだ?」という話がでてくるわけです。

残念ながら、微妙なところでは、あります。

もともと、自分の傾向として、「一歩引く」「客観視」というところがあって、上記のようなことを引用して紹介することもあるし、自分の生き方としても意識していることがあるのですが、本当にそれができているかは正直、できてないと思います。

このままだとどうなるかというと、自分の言葉で語れない…のです。

だから、今後の人生においても、改めて肝に銘じていきます、、、ではなくて。

おそらくしなければいけないことは、「本当に上記のことに沿った行動をできているのか?」「沿った行動をしたのってどんなとき?」なのかな、と思っています。実際のこれまでのこと、も含めてなのかなあ、なんて。

文字通り、「言うには易し、行うには難し」

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