僕らは【コモン】を創れるか【カオス】に終わるか。#コモンビート
2019年9月22日、ミュージカル「A Common Beat(ア・コモンビート)」を観覧してきました。
大学時代の知り合い(名古屋在住)に急に誘われて、偶然予定が空いていたので、別の用事を絡めて名古屋まで飛んできましたw
さて、そんな「A Common Beat(ア・コモンビート)」の感想と、所感を(ほぼ一緒だけども)ここに書いておきます。僕自身の備忘録としても。
総合的にはとても感動して、泣いていました。。。ひとりひとりの全力をすごく感じた、というか、100日でこんなクオリティに作り上げてくる皆さんのパワーがすごいなと思いました。
日々何かに本気に打ち込めているか?と言われたら、たまに手を抜いている自分がいます。個性なんて受け入れられない社会だ、なんてほざいている自分がいます。
でも、こんなに「コモン」にできる「ビート」、誰でも個性をつぶさず、でも一つの答えをつむげるっていいなと思いました。
さて、題名にも書きましたが、コモンビートを見て書いた所感を。
※ほんの少しネタバレあります。不快でしたら申し訳ございません。
ミュージカル終わって書いた所感
#コモンビート 見た感想メモ
・コモンとなるかカオスに終わるか
・世界の主人公は結局は自分のみである
・個性とは何もしなくてもあなた然たること、その環境を作ることが結局は善
・「公益」の先、「地球益」(ガイア)へ— しまさん #お寺をアップデート (@shima_sun_0) September 22, 2019
・「地球益」を目指さなければ、私たちが地球を救う最後の人間になる
・地球益を目指していれば自ずと全ての人が救われる(はず)
・過去は変えられぬが未来は創れるざっとこんなことを。あとでまとめますね~!
— しまさん #お寺をアップデート (@shima_sun_0) September 22, 2019
我ながら何を書いているんだが・・・?とも思うんですけど、本当にパッと思ったことを書きました。
さて、解説していきましょう。
コモンとなるかカオスに終わるか
このミュージカルを見つつ、考えたことがありました。
現代において「【コモン】を創れるか、【カオス】に終わるか」。
どういうことか。
“common” 意味:共通の、公共の、共有の
“chaos” 意味:混沌、無秩序
「多様性社会(もしくはダイバーシティ社会)」と言われて久しい。
価値観、考え方、思想、言語、あいさつ、年齢、しぐさ、顔、体の何かかしらが違う人が1つの場所もしくは1つのチームやグループ、コミュニティに入ることが当たり前になった。
会社(ド日系企業)の中でも、中国人が活躍しつつありますし、コンビニやホテル、レストランには東南アジアの方が働いているのを多く見かけるようになった。
しかし、その「多様性社会」は「コモン」な社会といえるのだろうか?なにか共通目標とか共通価値観とか共通言語(いわゆる日本語とかではなく)とかがない限りそれは「カオス」に終わるだけではないのか?という命題だ。
コモンビートの世界では、4つの大陸があり、それぞれの大陸がそれぞれの文化を持っている。国境警備隊がお互いに交流しないように監視しているが、他の大陸を知る誰かのおかげで交流が始まる。しかし、その支配者が「文化も違うものは排除すべきだ」と争いを始めてしまう。
これが現代にもある、という話がしたいんじゃない。
「そもそも、多様性社会にするには、人をごった煮にすれば大丈夫だ、という謎の根拠なき自信があるけど本当に大丈夫なのか?」ということを問いたいのである。
社会の成長という観点のゴール地点もない、ただの「金稼ぎゲーム」のワンパーツとして「多様性社会」を標榜するのはおかしくないか?と。
ただごった煮にするんであれば、それは「コモン」な社会ではなく、ただ「カオス」なだけである。
もちろん、ひとつのゴールに向けて、共通言語があって、「それぞれが個性を響き合わせてそのゴールに向かう」というものであれば問題ないんだけど、ね。
そのために、社会的なゴールの枠組みを作ったんだけど、それがうまく機能していない、巻き込めていない。もしくはそのゴールを目指すために個性がなくなる。
うーん、ムズイ。
そしてもう一つ。
「僕らはこのごった煮社会で果たして「コモンな社会」を創れるのだろうか?」という問いである。
僕らはムリヤリ「多様性社会」にしよう、と言われていろんな人を受け入れ、いろんな個性と向き合い、いろんな生き方を受容しよう、と受動的に言われ続けた。
でも、なにも共通なものが見つからないのにそんな「多様性社会は作れるのだろうか?」
そのヒントも、「コモンビート」は教えてくれる。そう、「共通の言語を持て」と。
コモンビートの世界が平和になったのは、(戦争のあとの流れを飛ばしてはいるけども)お互いの音楽や踊りをお互いにリスペクトして、お互いが踊りあう、そんな「共通言語」で語り合えた、響きあえたから、と。
いろんな考え方ができると思うけど、そういうことじゃないかな。
「コモン(=共通の)」な社会は、そういったゴールだけでなく、言語を共通化することも成立の条件なのかもしれないなと思った。
ただ、まあこの話に答えなんかない。
でも、この考察はいろいろ議論してみたいなあ、と思わせてくれる。そんなミュージカルでした。
関連記事:公益性とは何か、解明するための分析3要素を考えてみた
公益性 とは、色んな人にとって良いもの。(要素分析「公共」)
【月日が過ぎて10月に書き足した部分】
こんなことを書いていたら、NPO法人コモンビートの理事長さんがこんな記事を書いていた。
今の社会の流れはどちらかというと、ひとりひとりがありのままに生きること、多様なまま活かしあえることが望ましいとされているからこそ、カオスの中でも自分らしく・たくましく生きる力を育てる必要がある。そんな力を育てようとしているのがコモンビートと言うわけだ。
ということで、カオス歓迎(笑)!
あれ。
あれ?
そうか、共通言語は持ってても、「カオス」の中でも自分らしく・たくましく生きる力があることが大事なのか。でもってそういう力をつけるための教育プログラムなのだと。
そもそも、「カオス」という概念をマイナスにとらえすぎていたのかなあと反省。
理事長さんはちゃんと認識して、なおかつ「カオス歓迎」と言えているのだから。
考察とは考察に過ぎないのかな、と自分に対して感じた。
さて、あと2つくらい。お付き合いいただけると。
個性とは何もしなくてもあなた然たること、その環境を作ることが結局は善
結局、今の時代に成功している人は「個性がちゃんとしている」人のことが多いんだけど、それは運の要素が強い、なんて言われてしまう。
でも、その「運の要素」って何かと言えば「環境」と「自然体かどうか」、な気がする。
「あなたは、あなたでいていいんだよ」「あなたがこういう人であるんだから、こんな形で貢献していこうね」という環境があることと、その中で「ちゃんと自然体でいること、飾らないこと」が重要なのかな、と思った。
コモンビートの参加者は皆、衣装にこだわりがあるっていう話である。
確かに、僕を誘ってくれたキャストの子は赤の衣装に溶け込む形ではあったけど、かなり印象深かった。(がゆえに舞台の中でも割とすぐ見つけた)
でも、そのこだわりとか、個性とか、「あなた然」とかがあっても、ひとつのゴールやひとつの完成を目指す中で、まさに「コモンビート」が見つかるんだろう。
結局のところ、個性がストレスなく発揮できる、「あなた然」を受容できる、そういう環境と「あなた然」をはっきり出せることは幸せであり、最高のパフォーマンスを出すことができるのかなと。
まさに「あなた然たること」が世の中をよくする、善となすためのヒントなのかな、と感じた。
参考記事:「つぶしがきくから」を終わりにしよう。これからの 進路 の決め方
なんだろう、僕自身がすごく響いたのはこの「あなた然」になれる社会を作りたい、という想いかなと思った。
「公益」の先、「地球益」へ。それが世界を、人間を救う。
最後に語りたいのは、前述のこちらについて。
もちろん、ひとつのゴールに向けて、共通言語があって、「それぞれが個性を響き合わせてそのゴールに向かう」というものであれば問題ないんだけど、ね。
そのために、社会的なゴールの枠組みを作ったんだけど、それがうまく機能していない、巻き込めていない。もしくはそのゴールのために個性がなくなる。
この「地球益」。すでにSDGsという形で地球を救うためのゴールが考えられている。
もはや、これを本気で、なるべく多くの人が意識して進めないといけないな、なんて思った。
もう、「公益」じゃ足りない。もちろん、それぞれの大陸の中での「公益」なんかじゃ「世界を救いたい」なんてムリ。
「地球益」の追求をしないと、それこそ「カオス」な状態の世界になってしまう。
「コモンビート」な社会は、まさにゴールを「コモン」なものにしないといけない。
そんなことを思った。
関連記事:今更ながら、 社会貢献 とはどういうことなのか、「ドラえもん」から学ぶ
結びに
改めて、誘ってくれた友達にはすごく感謝しています。ありがとうございました。
予定が奇跡的に空いていたし、別の用事を作って、名古屋に来る以上価値を最大化できた気がします(そこはコンサルチック)。
全般としては、すごく楽しいミュージカルでした。だいたい5,6年ぶりのミュージカルだったんだけど、すごく楽しめました。
偶然、ストーリーがオリジナルのミュージカル(ユタと不思議な仲間たち)をみたことがあったので、その楽しさも思い出しつつ、そしてみんなのハーモニーを聞きつつ、本気を感じつつの最高の時間でした!
そんな中で、こんなことを考えたくなった、という点でも、単純に楽しめた、ワクワクできたことがすごく価値になりました。
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— しまさん@お寺をアップデートしよう (@shima_sun_0) 2019年5月18日

1995年神奈川県川崎市のお寺生まれ。中高は全寮制男子校に6年間通い、その後横浜国立大学経営学部にて「宗教法人の情報開示 ~公益性の観点から~」をテーマに、ソーシャルセクターの中の宗教法人の情報開示を、公益性・社会性の観点から評価し、開示する方法を研究。その後はコンサルティング会社で働きつつ、「#お寺をアップデート」を合言葉に、お寺をソーシャルグッドな存在にするための方法や、お寺のこれからのカタチを発信している。また、実際にお寺の現場に訪問し、お寺のアップデートを実際に手伝うことも。詳しいプロフィールはこちら>>
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