自分を分析するとき、「弱み」は「強み」に変えて考えていた話
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もう一つのテーマ
前の交流会終わってから、「こういうテーマで分科会やりたい」って言い続けてたらやらせていただくことに。気になったらおいでませー\(^^)/ https://t.co/KVW1RrgjP1
— しまさん (@shima_kun_0825) 2017年11月28日
8月に参加した学生の勉強会「政策・情報学生交流会」が、次回は2月と聞いたので参加したいとは思ってた。でも今度は「作る側にまわりたい」という気持ちがあった。なのでチューターという教える側、企画を作る側に見事なることができた。
理由は二つある。一つは自分の好きなことが、参加者に対して大きな価値になると思ったから、一つは8月のほうに参加した時の分科会の自分に対して感じた不満があったからだ。
一つ目の自分の好きなことというのは、新たな考え方を創造して、その考え方を教え、教えられた側がパフォーマンスを発揮する。まあつまり何かのために何かを作り上げることと人に教えることである。
二つ目の自分に対する不満というのは、クローズな自分がいたことだ。本音がうまく出せてなかった。それと、自分の幸せを描くべきなのに周りが気になってしょうがなかった。あと、社会に対するアプローチがあったら面白くなるんじゃないかなという向上心である。(ちなみに前回分科会Bに参加したら今回も分科会Bだった。個人的な好みだが2番目が好きである)
今回の場合なら、「公益性」と「社会貢献」という考え方だ。「社会貢献」とは、社会に対して価値を提供していくことをいう。*1対価の有無はここでは関係ない。「公益性」とは、社会の利益となること*2、できる限り多くの人に対して良い価値を提供すること、社会貢献のずれやマイナスポイントを修正していくことである。このテーマに沿ってワークをいろいろやる。グループワークやペアワーク、レクチャー、プレゼンテーションなどである。
この「公益性」と「社会貢献」というテーマであるが、僕にとって必ず教えたいことがある。それは「弱くてもそれは強み」である。
「弱い」ことさえ強み
具体例を出せば、「サーバント・リーダーシップ」*3がある。チームの中でヘタレ野郎だけど、いないと困る存在。それはパシリである。(実際自分がそうだった)そういうパシリはビジョンを示して何かをしようとすると、ヘタレ野郎なのでまわりの意見にぼこぼこにされる。しかし、まわりのほうがレベルが高いうえに、その強さを引き出せる(守るより攻撃する方が人は強い)。つまりそのビジョンに対する行動は最高のものを作りやすいということだ(僕の勝手な定義ですこっちは)。
ほかにも、ヘタレ野郎なので外的に弱いからみんな守ろうとする、という強みもある。「ヘタレ野郎」、ちゃんと考えられるようになれば最強説。
僕自身も、生協学生委員会で3つ企画やった。自慢じゃなくて、やりたいことやったら結果的に3つもやっちゃってた。全部一貫して自分が立場が低かったが、がゆえにいろんな意見が出たし、いまも継続してやる人がいる。ということは強みがある企画だったのだろう。
「サーバント・リーダーシップ」は一例だが、弱いという強みはたくさんあると思う。家族がバラバラだったが、母が病気になったら途端に家族が結束するみたいな話も近い。
僕がなぜそれを教えたいかというと、社会において目立つ人、先天的にスペック高い人は強いけど、それと対極に目立たない人、スペックはそれほどじゃない人はそうじゃないところで勝負できるし、そうじゃないところがないならもはやないことさえも味方にできる、ということだ。
だから、思考力トレーニングを積んだうえで、自分の弱いところを強みにする考え方や視点を身に付けて、負けないでほしい。勝たなくていいし、もはや勝負しなくていい。僕も「負けないけど、勝つ気はない」という考え方で生きてるし。
ちょっとズレたけど、弱い人は弱いという強さを発揮する考え方を知ればだれでも生きていけるし、これからそういう世の中を作りたい。弱い人が生きられない社会は、みんな強くなければいけないっていう硬直した社会だから。*4いろんな人がそういう考え方をもってほしいと思った。
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