正しい生き方を知らなくても、楽しく生きれるっていう話 【しまさんの読むRadio】

こんにちは、以前書いて、個人的にも好きな曲をテーマにした記事がありました。

その曲が、ザ・ハイロウズ「即死」という曲です。

曲自体は全然有名じゃないのに、つい紹介したくなってしまったのは、下記のような理由からでした。

・現代の仕事に対する不満(ブルシットジョブ的な?)を当時から捉えていた部分があったから
・個人的な死生観に近いことが含まれていて、共感したから
・(良くも悪くも)イマの思想に近い、「今生きていることが最高に楽しい」理由の解説になっているから

ちょっと何言ってるか自分でもよくわからなくなってきたので、本題に入ります。

「今生きていることは、楽しいですか?」

いろんな場所でこんな質問が起きている。企業社長の講演会、NPO法人代表の講演のような「その仕事をしているのは楽しいですか?」という文脈なことが多いが、いずれにせよ多いと思う。(生きていることのほとんどは仕事だと思い込んでいるのもなんかなあ)

僕に関していえば、講演機会はないが、たまに自問自答している。ちなみにストレングスファインダーの上位5つの内、「内省」が5番目に来ている。今年は1日10分間、1日の振り返りをするようになって、ほぼ毎日自問自答だ。

生き方について

ザ・ハイロウズの「即死」という曲がある。

曲名からしておどろおどろしいが、曲自体はエイトビートのかなりシンプルな曲だ。

シンプルな曲の場合、だいたいはメインボーカルの甲本ヒロトさんの言い分があまりにも如実に表れている。

ここに、現代の「やりたいことだけやってさっさと死にたい」なんていうある意味「次世代の考え方」につながる歌詞が入っている。

ああしなさいとか こうしなさいとか もううんざりだよ
ああしなきゃとか こうしなきゃとか もううんざりだよ
何が正しいのか知らない 何が楽しいか知ってる

THE HIGH LOWS「即死」より

曲自体は2001年にリリースされているけど、もはや現代思想の先取りといっていい気がする。

「こんなことがうんざりなんだよ!何が正しいのかは知らんが、何が楽しいかは知ってるぞ!」と。

何がいいって、「もううんざりだよ」って言いきっていること(笑)

やりたいことベースだとどうしても「やりたいことなんかないよ~」といいがちだと思うんだけど、「こんなこともううんざりだよ~」ベースで生き方を選べるようになったらいいなあ。てかそれでもいいんだよって言いたい。

次世代の生き方って何だろう。

「やりたいことに忠実に動けている人」
「自分の使命を自分で定めて、そこに向かっている人」
「自分が楽しいと純粋に思うことを率先してやれる人」

それが「次世代の生き方」である、という認識だろうけど、それ以前に

「自分がやりたくないことに忠実な人」
「自分のNOTTODOが明確でホントにやらない人」
「楽しくなかったらうんざりだ!と動いちゃう人」

も同様に「次世代の生き方」として評価すべきな気がしている。

たぶん「もううんざり」なこととか「何が正しいか知らない 何が楽しいか知ってる 」ということとかを理解して行動している人は、「次世代の生き方」と周りからもてはやされるだろう。その人にその自覚はないにしても。

そんな生き方を目指すのが、次世代の生き方ってヤツの正体だと思う。

まったくダセーよ

ついでにこんなフレーズもある。

ありもしないフツーだとか ありもしないマトモだとか

まぼろしのイメージのなか

まったくダセーよ

「フツー」「マトモ」「ありもしない」「まぼろしのイメージ」でしかないと、ここまで踏んづけて、最後は「まったくダセーよ」とぼろっかすである。

僕自身、「フツー」にも「マトモ」にもなれなかった(と認識している)ので、ここまで爽快感たっぷりにボコボコに言ってくれるこの歌詞が大好きだ(笑)

次世代の生き方、というのはもはや「フツー」も「マトモ」も「まったくダセーよ」と蹴り飛ばせる生き方のことなのかもな、とも思う。

こんな次世代の生き方、のぞいてみたくない?僕だったらのぞきたい。

即死で頼むぜ

「生きることはつらいことだ。死んだ方が楽とさえ思えてしまう。」

山本周五郎著『樅の木は残った』より

最近の暗いニュースや、生きている間のことで、特に思うことが多い、感情に一番近い気がする。でも結局生きている。

今生きているうちに、「やりたいことやって、さっさと隠居したい」と思ってる。

そんな領域にたどり着いたのは、高校3年くらいだ。

先述した「即死」にはこんな歌詞もある。

振り返りたくない 考えたくもない

涙はいらない 即死で頼むぜ

入院したくない 病気で死にたくない

ベッドで死にたくない 即死で頼むぜ

痛いのはゴメンだ 苦しむのはヤダ

一瞬でいくぜ 即死でたのむぜ

(中略)

厳かはヤダ くだらない方がいい

笑えりゃなおいい 即死で頼むぜ

もちろん、作者の甲本ヒロトさん自身の死生観と考えれば自然かもしれないけど、この歌は僕の死生観に、小さくないインパクトを与えている。

「人生なんか振り返りたくない」
「お涙頂戴の感動ポルノはいらない」
「病気なんかで死にたくない」
「痛いのはごめんだ、苦しむくらいなら即死したい」

苦しくて死ぬことも考えたことがあった自分にとって、すごい救いだった気がする。もっといえば、葬儀の現場をたくさん見ていることも影響しているのかもしれない。

気づいたことといえばこれだろう。

「結局、死んだら無じゃん。」と。

芸能人とか偉人とか国家元首とか、葬儀には大勢の人が集まるけど、その事を死んだ人は(多分)見れないし、集まる事実さえ知りえない。

もっといえば、人生の主人公は自分であって、周りの人じゃない。だから、自分が死んだ時点ですでに無である。

人生なんか振り返りたくない、苦しみたくない、お涙頂戴なんていらない。

もう、「僕」ではないのだから。

気が付いたら、影響されすぎて、僕の死生観は「やりたいことが枯渇したら、もう生きる気はない」となった。

それこそ、「即死で頼むぜ」と。

だから、やりたいことにとことん向き合いたい。

働き方、ではなく「生き方」。

死に方、よりも「生き方」だよなあ。

「即死」を聞いて、影響を受けて、どんな人生にしていくか、生き方を作っていくか、そんなことを思っている。

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