NPO未来ラボよ、トワに。【またはお寺で“ソーシャル”が大事と確信した話】

2019年12月31日、僕が昨年9月1日から所属していたNPO未来ラボが解散しました。サロンオーナーの今井さんのご意向、あと僕の力が及ばず、活性化しきれなかったことが理由かなと思います。(しょい込みすぎですかね。)

だから、せめて僕の力が及ばなかった言い訳にするために、オンラインサロンに入って、どう変わったか、どうなったか、そして「NPO未来ラボ」に何を尽くしたか、書き留めておきたい。

自分の「ソーシャル志向」を浮かばせられた

まず、ラボで得られたモノのひとつに「自分の中にソーシャルな活動の興味があることが把握できた」ことがある。

それまでも、お寺生まれということもあってか、大学の研究で「宗教法人の情報開示」をテーマにしていたのだけども、その要素に「宗教法人の情報開示 ~公益性の観点から~」とサブテーマを置いていた。内容としては、「宗教法人に、公益性が本当にあるのか?あるのであれば、どんな情報開示をすれば伝わるだろうか?」であった。

それを書いて、3月に卒業したんだけど、6か月間は正直「ソーシャルな話」はしていなくて、ブログも「お寺はこうなったらいいな」と「公益性ってこういう定義だよね」という話が多かった。

それが、2018年9月1日、突然の「NPO未来ラボ」への入会があってから変わった。ちなみに、知ったきっかけは、当時からフォローしてた、NPO法人ひとまきの代表(当時)の矢野大地さんがつぶやいてたってだけ。

※ちなみに偶然にも、このご縁をきっかけに、高知に遊びに行ったり、NPO法人ひとまきのクラウドファンディングPJに参画させていただいたり、チャレンジの場までくださったのも矢野大地さんでした。あの機会がなかったら、今のプロボノはなかったと思います。

実は、NPOという組織形態があることはよく知っていた。それこそ、大学の研究で、お寺が参考にすべき情報開示の事例としてNPOを取り上げていたからだ。(当時参考にしていたのはカタリバさん)

で、わざわざ「NPO」とつくオンラインサロンに入ったのである。ほんとにノリだった。ノリさん(今井紀明さん)だけに。

そう、「僕はソーシャルなことに興味がある」ということを再び掘り出せた。それが最初の収穫だった。そこだけでも、大きい。それまで悩んでいたことが晴れていく感覚があった。だから、出会いって大事なのかもしれない。

「お寺はソーシャルにできる」を実感した

ラボに入っていろいろ学び、「お寺の息子」として、お寺の公益性についてすごく考え直せた。あと、活動としては、今年6~9月あたりはかなりコミットした。積極的にイベントも作ったし、オンラインだけでも続けていくことにした。(リアルは仕事の都合で難しいことがあった分、である)

その果てに、ひとつ大きな確信を得た。それは「お寺はソーシャルにできる」ということである。

そもそも、お寺は公益に寄与する団体として、NPO同様税制優遇がある。でも実態は「公益に寄与する」といえるのか?という問題やそれとは別で「公益に寄与する」ことが可視化できていないのでは?という問題を抱えている。じゃあ何をすればいいのか、という話で「情報開示をしましょう」というのが大学の卒論だった。

NPO未来ラボでは、唯一の(?)お寺出身者であったので、「お寺とソーシャルなことをつなげられないかな?」という大きな仮説を抱えながら、いろいろ学んだ。

そして、その仮説は確信に変わった。

それをこの記事に書いていた。

この仮説をもとに、あとは実際に「お寺でソーシャルなことをやる」ということを実践するだけになった。

「たどり着いたら そこがスタート」

僕の好きな歌詞。樋口了一さんという方の「1/6の夢旅人(6分の1のゆめたびびと)」という曲に出てくる。

まさに、そのようなタイミングにラボが解散になった。

僕がこれから、「お寺でソーシャルを作り上げるか」について、見てほしいというよりは、もはや仲間入りしてほしい。1人は、つらい。(笑)

仏教界もNPOも親和性が高いのならばどんどん歩み寄り合うべきだと。いまは「あんな緩い集団無理だ」「お寺は敷居が高いムリ」でも、その間を歩いていきたい。その間を取り持ちたい。

僕はお寺の人で、ソーシャルの人で、そしてただの人だ。

だから、これからもコツコツと進めるし、それでいい。

さあ、「お寺でソーシャルなこと」を始めよう。

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