宗教 はそもそも、どんな役割があるんだろう?お寺生まれが考えてみた
突然ですが、宗教 ってどんな役割があると思いますか?
むずかしいですよね…そりゃ、身近なものではないので…。
そこで今回は「そもそも宗教ってどんな役割があるの?」という話をしていきたいと思います。
もくじ
宗教 の3つの役割
宗教には3つの役割があると言えます。
- 心が落ち着く、ホッとする考え方を教えてくれる。よりどころを与える。
- 自分の生き方を導く、考え方を教えてくれる
- ほかの人を救う考え方と実践の仕方を教えてくれる
これをまとめると、「人間に精神的価値を与える」という点が抽出されます。
「精神的価値」とは、宗教学者の島薗進先生が以下の論文の中で、「宗教法人の公益性」について講演した際に出てきた考え方です。
(島薗進、2008、「宗教法人にとって公益性とは何か」『現代宗教研究』 別冊 pp.3-38より)
先生の言う「宗教法人の公益性」というのが、まさにこの3つについて語っているわけです。
「社会活動とかにおける宗教集団の公益性について、宗教は別にボランティア活動や平和運動、社会福祉活動などをしなくても、社会が安定する、人々の心が慰む本来の教えを人々に伝えているということが公的な価値を持っていて、それを広めるまたは保持する役割がある」
最近であれば、パワースポット巡りと言って、神社やお寺を巡るのが小さいながらもブームになっています。すべての人がそうとは思いませんが、なにかパワーが欲しい、安心したいという気持ちが現代人に現れつつあるのではないでしょうか。
このことについては、別の記事で詳しく書こうと思いますが、佐藤航陽氏のお金2.0では価値主義における「内面的価値」に分類されるものです。それは、実生活に役に立つか?という観点ではなく個人の内面的な感情と結びつけられた価値です。その個人にとってポジティブな効果を及ぼすときに価値があると考えられるのです。
そう、本来この宗教という精神的価値を伝えるために宗教団体が存在するわけです。何か金儲けをする目的で作るものではないわけです。当たり前ですが。
「救い」の視点
この、宗教によって生まれる精神的価値を「救い」という考え方で説いたのが釈撤宗先生です。
釈先生は『宗教は人を救えるのか』で、宗教によって「救われること」について書いています。
釈先生によれば、宗教とは、苦しみや悲しみ、思い通りいかないことを受け入れて、生き抜いていく知恵をまとめたものとしています。また、その受け入れることを「あきらめる」という言葉で示しています。この「あきらめる」は、「明(あきら)める」であり、「諦める」であると。
たとえば、老いを感じることを受け入れるためには、その老いを明らかにすること、老いにまかせることだと述べているのです。そこまでいかなくても、身近な悩みにも大切な考え方を与えるといえます。これは宗教の「救い」の部分と言えるでしょう。
私も20歳を過ぎて、人生の3分の1くらいは過ぎたと思います。そう理解することで、たぶんこういう姿になるだろうな、こういう生活をするだろうなと「明らめる」ことで、将来の不安を軽くしています。また、私は仏教徒なので、ある程度運要素があると考えると、「諦める」こともしばしばしているわけです。もちろん、最大限の努力をしながら、叶えたい夢は追いながらですが。
「幸せ」の視点
一方で、精神的価値を「幸せ」の観点から説いているのは櫻井義秀氏です。
櫻井先生は、宗教があることによって、いかに生活や精神が満たされるかという視点で述べています。
(櫻井義秀(2017)「宗教は人をどのくらい幸せにするのか? ―日本人の幸福感と宗教―」宗務時報、第121号、pp.1-18より)
櫻井氏によれば、宗教があることによって、客観的幸福度(衣食住がそろっているかなど、ほかの人から見て幸せと感じられる環境にあるか)と主観的幸福度(その人が幸せだ、生きがいを感じるといった幸福感を感じているか)の二つともが満たされるとしています。
それは、生きる力を教えから学ぶことや、宗教があることによる倫理観の養成、コミュニティの形成によって幸せを感じるための条件がそろった状態になることです。そしてその環境で幸せを感じる活動ができることが宗教の役割として考えられるのではないでしょうか。
私はお寺の檀家さんのコミュニティにいることで、いろんなことを、たとえば親の大切さであったり、将来どういう人になるべきかであったりを教えていただいて、実際にいまそれを実践できています。そして、そうして実践することを楽しんでいるのです。
このように、幸せの視点でも宗教の役割は存在するのです。
改めて、宗教の役割とは
宗教の役割は、主に3つ、それは「精神的価値」または「内面的価値」を作り上げるものでした。
- 心が落ち着く、ホッとする考え方を教えてくれる。よりどころを与える。
- 自分の生き方を導く、考え方を教えてくれる
- ほかの人を救う考え方と実践の仕方を教えてくれる
これらは、実際に経済にプラスの影響が与えられるものではありませんが、人間の価値を高める「精神的価値」であり、それは「救われる感覚」や「幸せ」とも縁があるものと話しました。
別の時にこれは書きたいと思いますが、そういった「精神的価値」にお金を払う時代、もっといえば「物を売る」時代が終わり、「心を売る」時代がこれから始まります。というか始まっています。その中でこう言った価値を提供できるお寺は大きなチャンスが来ていると私は考えています。
そのためにも、改めて宗教やお寺の役割は何なのかを再確認していきたいです。
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