次の お寺 を考えよう 駆けだし

 お寺 の「次」

この記事では、「 お寺 の次」とは?ということを書いていくために欠かせない、宗教が現代においてどのように必要性があるか、どういう公益性があるか、という話を書いていきます。

そもそも「宗教」とは?

宗教とは、何なのか…?最初はその正体を、法的な根拠から考えてみました。

お寺

法的な根拠として。宗教法人法第2条では、

宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体

のことを宗教法人というそうです。つまり、仏教とか神道とかキリスト教とか幸福の科学とかの宗教を広める団体、またはその信者を教育する機関として宗教法人が存在します。法律的には宗教は定義されていません。

しかし、海外の法律では言及があります。例えば、イギリスでは非営利組織非営利組織はチャリティと呼ばれ、チャリティ委員会がチャリティ法で認可した組織のことを指します。そのチャリティ法の中では、

①至高 の存在への信仰であること

②礼拝を通じての思考の存在への信仰の表現*1

と定義されています。正直「?????」という感じでしょうか(笑)

最近は減ってきたのかもしれませんが、受験の合格祈願に神社に言った経験がある方はたくさんいると思います。文字通り、「神にもすがる思い」だったでしょう。この「至高の存在」とは、このように自分の運命を決めている(かもしれない)存在のことを指し、それに対する信仰(信じること)を「宗教」と定義づけていたわけです。おわかりいただけましたか…?

私自身、寺育ちだったため、「至高の存在」であった仏様や神様がすぐそばにいる生活をしていたわけです。しかし、檀家さんはおじいさんおばあさんばかり、若い人には宗教に関心がないと愚痴る方も多いです(この「最近の若者は…」的言説は今も昔も変わらないそうですよ*2

それでも、私は宗教の、または宗教的コミュニティに可能性があると思っています。学びたい若者や逃げたい若者には最高の環境だと。

人間らしさ

 私は、宗教という「すがれるもの」の重要性が感じられているから可能性を信じたいと思っています。

現代において、社会的不安はたくさんあります。それは、日本が憂慮すべき状況にある、という政治の文脈よりも、経済格差が拡大している、という経済の文脈よりも根本的な問題と考えます。それは、「おたがいさま」の消滅、または「消費者体質」という人間の社会的な、人間らしさのある生き方の欠如、という人間の文脈です。この考え方は、釈先生の『宗教は人を救えるのか』で書かれているものです。

消費者体質

極端な言い方をすれば、「消費者体質」とは「金を払っていれば、その対価に見合うものが手に入る、そうでなければ文句をいくら言ってもいい」というものです。なぜ、そうなるかというと、まわりに頼れる人がいないから、というよりも頼れる人を作る気がないから、お金で信頼やサービスを買うわけです。

しかし、信頼やサービスの提供者も人間なので、多少のミスや間違いがあるわけです。当たり前の話です。でもお金を払っているからという理由でいくらでも文句を言っていい、なんならお金は返してもらえる前提で話が進みます(しかもこれが賢い消費者となってしまうのです)。

しかし、そう言うミスや間違いは頼んだ側も問題があるかもしれないわけですし、頼んだ側もたぶん同様のミスをかもしれません。

そういうときこそ「おい、金払ってんだよこっちは!」というよりも「お互いさま」という気持ちで、「大丈夫ですよ、次はミスしないでね、私としてはその仕事ぶりでいいですよ」といえる必要があるわけです(もちろん、シビアな世界があるのですべてに通づるわけではないですが)。

それは、その人の一所懸命を見る一方で、人間らしさがあるんだな、という、まさに余裕が生むものだといえます。

将来の不安

もう一つ、不安と言えば「将来不安」があると思います。

特に、現代では突然いろんなものが失われたり、危機が訪れたりします。最近であれば、大手企業の倒産や災害や事故による突然の死別…現代社会はリスクにあふれています。ただ、これらのリスクをすべて回避するなら、隠居するくらいしかないでしょう(隠居も大変だと思いますが…)。

いままでも、将来不安というのはありましたが、現代では「並の生活からの転落への恐怖」が非常に強いといえます。

それは、TVでホームレスの特集が組まれたり、ブログやSNSに書かれたりと、いままで触れることがなかったことが可視化されてきていることもあります。そういうことに触れると人間はカルチャーショックを受けるわけです。「明日は我が身」と(そんなシリアスな人ばかりではないと思いますが)。

やはり、頼りにできるものが現代には少ないのです。そのために現代ではシェアハウスであったりオンラインサロンであったりSNSであったりと「新たなつながるツール」が多く誕生しているわけです。

さて、話がだいぶとんでしまいましたが、人間らしさのある生活を、宗教という「すがれるもの」がカバーできる、といえるのでしょうか?

なぜ「宗教」の可能性を信じるのか?

宗教の良いところは、ひとつの信じるものを囲うことで、一体感が出ることです。もう一つ、それはお金ではなく安心感という精神的な価値の共有が中心となっていることが言えます。

ひとつの信じるものを囲うこと=小さなコミュニティ

宗教のコミュニティは、高度経済成長期の前後で種類が異なるにしても、その周辺の時代で形成されています。前の場合は伝統宗教、後の場合は新興宗教の場合が多いです*4

では、そのコミュニティの意味とは何か。それは、「社会関係資本」です。

「社会関係資本」とは、よく言われる「コネ」や「つながり」を資本としてとらえた概念です。資本と言えば、お金やヒト、インフラ構築物などのモノや教育といった文化的なものを指す場合があります。「社会関係資本」は後者のような無形なものです。

コミュニティ自体はかなり古いものが多いですが、その分つながりは強いです。そして、宗教というものを中心にいろいろなものの交換や協力が飛び交っていたのです。残念ながら、最近はかなりなくなってしまいましたが、もしこのような活動が活発化すれば、宗教のコミュニティの価値、「社会関係資本」としての価値は非常に高まります。そして、頼れるものを作ることで不安が減るのではないか、という考えなわけです。
家入一真(@hbkr)さんの『なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ』の中で、「小さな経済圏」で新しい生き方を探してみよう、ということを提案しています。

宗教のコミュニティはいま高齢化しているが、一方で若者が入り込んで暴れてもいい環境がある程度あるといえます。

逆に若者が帰れる場所としてデザインしなおしてもいいのです。

私の実家のお寺でも「若いもんがいなくてさ~」という声を聞きます。

それは一つはマーケティングの再構築ができていないので若者にリーチできていない点、もう一つはその「社会関係資本」に魅力を見いだせないという点が考えられるのです。であれば、長所を見つけ(作ってもいいが)魅力を広めていく必要があるでしょう。

それは金銭的なインセンティブではなく、「信じるという集合」「帰れる場所としてのコミュニティ」「つながりを探せる場所」など、精神的に欲しくなる、依存したくなるものを魅力として作り上げていくべきだろう。そのようにして信頼を勝ち取るところからスタートだ。

安心感という精神的価値

精神的価値とは、『お金2.0』 のいう、「価値主義」の中でも「内面的な価値」の概念に近いです。「価値主義」とは、本書の中で以下のように述べられています。

価値主義ではその名の通り価値を最大化しておくことが最も重要です。価値とは非常に曖昧な言葉ですが、 経済的には人間の欲望を満たす実世界での実用性(使用価値・利用価値)を指す場合や、倫理的・精神的な観点から真・善・美・愛など人間社会の存続にプラスになるような概念を指す場合もあります。

さらに、『お金2・0』では、価値を①有用性としての価値②内面的な価値③社会的な価値の3つに分類しています。その中でも、精神的価値に近い概念である「内面的な価値」については以下のように書かれています。

その個人の内面にとってポジティブな効果を及ぼすときに、価値があるという表現を使います。(中略)感情は消費する、役に立つといった実用性とは無縁だからです。ただ、美しい景色を見た時、友達と過ごして楽しかった時、それらには価値があると表現しても特に違和感はないはずです。

感情を育み、それが表面に生まれ、表現されるのが人間の特徴であり、頭を良くしていくという「有用性としての価値」につながるのが精神的価値の重要性につながると考えられるわけです。

精神的価値は現代社会において、もっといえば宗教が意識されにくい時代においても「共感」「感謝」などの価値として注目されています。それはSNSで共感が共有しやすい、というよりも共感がネット上で生まれやすいことと関連が深いと考えられます。

宗教は、そういった精神的価値を提供する教育機関として、啓蒙者としての立場をこれから広げていく、そのような役割を持っても良いと思います。それがこれからの宗教の役割であり、衰退期にある宗教の次の転換する先になるでしょう。

まとめ

ここまで、宗教とは何か、人間らしさは現代に欠如している、そして宗教の精神的価値について述べてきました。まだここまではガイダンス的なものです。ここからさらに宗教の可能性、ひいては宗教活動や社会活動の幅まで宗教の役割は広がるであろう、深耕すべきであろうという主張をいろいろな考え方を引用していきたいと考えています。

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