コミュニティ運営のプロの話と お寺 コミュニティのアップデート
いま、自分はお寺生まれを引っ提げて、#NPO未来ラボ というオンラインサロンにいます。
その定例会のゲストとして、佐渡島庸平さんがいらっしゃって、パネルディスカッション形式で講演会がありました。
佐渡島さんは、『宇宙兄弟』のファンコミュニティを作ったのを皮切りに、現在ではコルクで新たな作品(または作者)コミュニティを作っている編集者で、非常に今回の話は興味深かったです。
今回の話は、大きく3つに分けられます。
- なぜ、コミュニティなのか?
- NPOについて
- コミュニティを作る意味
さて、ファンコミュニティ運営をしてきた佐渡島さんのお話から、お寺のコミュニティのヒントを考えようと思います。
もくじ
お寺 からお坊さんコミュニティへ
みなさん、 お寺 が文化財と呼ばれる理由、考えたことありますか?
僕は、「お寺が持っている仏教に関する性質の発信地だから」とお答えします。
お寺では、まず下記のイラストのように、外観が「お寺!」という感じだと思います。
そして、お寺は仏教という宗教を抱えていると認識するはずです。それは、お寺=仏教と言っていることにつながっているといえます。
ただ、それは先人たちが発信してきた結果ということもいえます。
お寺=仏教は、今の人にとっては常識ですが、正直影が薄くなっては来ているのです。
日本人の国民性調査(統計数理研究所、2013年)によると、日本人で宗教を信じているか、という質問に対して「YES」と答えたのは母数n=1,591を100としたとき、だいたい3割を切ります。
仏教文化の発信地の存在感がなくなるのは、時流ですが、一方で、お坊さん自身がそのキャラクターを発信し、それをいろんな人が見られるようになってきています。SNS、ブログ、人によってはフリーペーパー、書籍とその多様さが現代的ですね。
しまさんがTwitter上で知っているだけで、カレー大好き「カレー坊主(@bushi_yoshida)」さんやNPOの副代表もやっている「三谷大典(@mitanni_11)」さん、仏教とライトなつながりを作ろうとしている「稲田ヅイキ(@andymizuki)」さんなど…。
意外と、それぞれの活動についてだけかと思いきや、仏教思想について語るツイートが目立っています。
生き方を説いた論理的な言葉は他人を説得するには有効だけど、自分を納得させるにはまるで役に立たない。自分を納得させることが出来るは自分の行動だけ。
— カレー坊主@吉田武士(僧侶Lv.8) (@bushi_yoshida) 2018年10月5日
こんなんあった
今日の格言
『自分を発見する』https://t.co/92tnt4fhko#日めくりブッダの教え pic.twitter.com/vbp08e3o1r— 三谷大典 (@mitanni_11) 2018年9月29日
「僧侶ってなに?仏なの?偉いの?」と言われることが多いので、立ち位置をアイドルで喩えると
仏 =アイドル
菩薩=バーターで呼ばれる妹分アイドル
僧侶=トップヲタ
衆生=ヲタクみたいな感じで、基本的に僧侶はただ”通じてる”だけなので「同じヲタクだ」くらいに思ってほしいです。僕は。
— 稲田ズイキ(煩悩クリエイター) (@andymizuki) 2018年9月18日
このようなことも発信しているのです。この人たちはお寺の名前を出さない人も多く、より活動の名前などを取りあげる場合が多いです。
今となっては、お坊さんが文化を発信する時代に変わりつつあります。
佐渡島さんは、それが現代の動きであり、文化が個人で広められいくものに変わってきているということと一致します。
しかし、見ている人(仮にファンとしましょう)は1000人いるかいないか。さらにこの人たちの発信を見て、実際に行動を起こすのは100人くらいなのです。SNSでできる発信はあくまで「まわりへの影響」に過ぎないという現実があります。(やっとコミュニティの話に戻りましたね。)
では、そんなお坊さんコミュニティはどのような方向性が必要になるのでしょうか?
すこし、佐渡島さんがNPOについて話したことを挟み、書いていきます。
「漠然と善い事してるんだぜ」はつまらない
佐渡島さんは、上記のような(少し違う言い方でしたが)ことを話していました。それは、アメリカと日本のNPOの比較をしたらどう違うか、という話をしているときのコメントでした。
ちなみに、定例会の中での比較としてアメリカのNPOは寄付するメリットとNPOのビジョンが可視化されていることをとりあげていました。一方で、日本は「僕たち社会によいことしてますがんばってます!」しか言わない、おもしろくないというわけです。
「おもしろくない」にもさまざまありますが、お寺の活動なんか最たる例じゃないでしょうか?お寺の活動といえば「読誦会」「法要」「シンポジウム」くらいな気がします。要は、まじめ一辺倒になりがちなのです。
もちろん、その法要やシンポジウムを通して、「こういう社会を実現したいんです!!!!」と説得力持って言えるならバンバンやってほしいのですが、面白さがない時点で説得力を持たせるのは厳しそうです。
心を動かす、というのが宗教の役割のひとつだと以前書いたことがありました。
(>>>宗教 って何の役割があるの? 次のお寺を考えよう②)
そこでも語りましたが、人々に救いを、安心を与えるのが宗教の役割だとしまさんは考えているのです。その心の価値を作る工場がお寺であり、救う人がお坊さんなのですが、この心をつかむことができていない、という現実が転がっているわけです。
では、お坊さんコミュニティの時代において、心の価値を作るにはどうしていけばよいでしょうか?方向性とともに示していきましょう。
安心を作る仕事
お坊さんコミュニティの時代において、心の価値を作るのが大事という話は納得していただけたでしょうか?
では、実際どうするの?という話になると…
お坊さんは、お寺自体の減少にともない、人数が減りつつあります。というか、仕事をする人数が多すぎた、なんていうコメントをする人もいます。
ただ、僕は「仕事は(代替される可能性こそあれども)仕事をする人がいるから成立する」という考えがあって、押尾守さんの言葉を借りると「どんな人にも社会のなかでのポジションがある」ということは言えるのです。
それは、佐渡島さんも「コミュニティを作る人はポジションを確保すべし」とおっしゃっていて、「どんな社会・世界・業界でも、「席」があって、「空席」になっている場所がある。ただ、その場所は限られているし、人によっては「席」を作ってそこに座っている人がいる」という言葉の通り、席を作るという必要性もあるのです。
NPOの例を挙げるなら、NPO未来ラボの今井さんは「不登校」の経験から、正課高校からはみ出てしまった人を救う活動をしているわけです。それは、不登校の経験があって、その感覚(それは誰も共有することがたぶんできない)を持っているからでこそ、その人たちにはこういうサービスが必要という思考につながるわけです。
これは、まさに「席を作る」という行動なわけですが、お坊さんももっとポジションを、「席」を作っていくべきなのです。
そして、社会の中でのポジションができると、自分のコミュニティを作った時に、分かりやすく人が集まりやすい、と言えるわけです。
心の価値を生むためにも、自分が何者なのか?何がしたいのか?何を果たしていくのか?そんな開示がより必要になっていく、それはお寺、お坊さん限らず、です。安心や信頼を作るにはやはり開示ですし、檀家さんコミュニティでもオンラインのコミュニティでも同じ話です。
まとめ
ここまで、いろいろ書いていましたが、ポイントは3つです。
- お寺が持っているコミュニティに加えて、「お坊さんコミュニティ」がこれから出てくる
- 心の価値を作る時代は「ビジョンと面白さ」が必要
- 「席」を作り、○○のお坊さんを作り上げる
それぞれ、今の動きとともに、結局何が必要か?何をしていかなくてはいけないのか?を書いてきました。
佐渡島さんの話から、お寺のコミュニティの変化と将来について考えてみました。
1995年神奈川県川崎市のお寺生まれ。中高は全寮制男子校に6年間通い、その後横浜国立大学経営学部にて「宗教法人の情報開示 ~公益性の観点から~」をテーマに、ソーシャルセクターの中の宗教法人の情報開示を、公益性・社会性の観点から評価し、開示する方法を研究。その後はコンサルティング会社で働きつつ、「#お寺をアップデート」を合言葉に、お寺をソーシャルグッドな存在にするための方法や、お寺のこれからのカタチを発信している。また、実際にお寺の現場に訪問し、お寺のアップデートを実際に手伝うことも。詳しいプロフィールはこちら>>
この投稿へのトラックバック
トラックバックはありません。
- トラックバック URL
この投稿へのコメント