公益性 とは何か考えるときに欠かせない!”CSR(社会的責任)”とは?

はじめに

企業において、CSR(企業の社会的責任)とは、「Corporate Social Responsibility」の頭文字を取ったものです。では、「Corporate」にしか責任はないのでしょうか?その「Corporate」を構成する人間は、人間で構成される社会に対して責任をもつべきではないでしょうか?

公益性の話をしている中でも、話してみたい内容だったのです。

>>>公益性ってナニ?という方はこちらも読んでみてくださいね

この人間の社会的責任(それは道徳≒倫理を構成するものでもあります)について考えてみたいと思います。



CSR(Corporate Social Responsibility)とは?

CSRとは、企業の社会的責任と訳されます。企業の社会的責任とは、企業が自社の利益を追求するだけでなく、自らの組織活動が社会へ与える影響に責任を持ち、あらゆるステークホルダー※1にとってプラスになること全般を指します*1

つまり、自分の利益のためだけでなく、お客様や地域の人々、従業員などの企業を囲む社会に対してプラスになること=公益性の高い活動をする責任が企業にはあるよね、という考え方です。

このCSR活動を評価するための国際指針や基準がいくつかあります。

その一つが、2017年に話題になったSDGs(Sastainable Development Goals)です。

国連開発計画(UNDP)によると、

持続可能な開発目標(SDGs)、通称「グローバル・ゴールズ」は、貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動を呼びかけています。

これら17の目標は、ミレニアム開発目標(MDGs)の成功を土台としつつ、気候変動や経済的不平等、イノベーション、持続可能な消費、平和と正義などの新たな分野を優先課題として盛り込んでいます。ある目標を達成するためには、むしろ別の目標と広く関連づけられる問題にも取り組まねばならないことが多いという点で、目標はすべて相互接続的といえます。

SDGsには、具体的に○○を減らすことを明記しているのではなく、解決すべき社会問題はこのくらいあります。社会全体でこの問題に取り組んでいきましょう。ただ、1人ですべてやるのは難しいので、それぞれやることの優先順位を、できる部分からやっていきましょうというのを明記したものです。

すこし、あっさりしてしまうので、企業の例を1つあげましょう。しまさんがいた大学のゼミはちょうどCSRについてやっていたのですが、そこでも取り上げられたサントリーHDさんを取りあげたいと思います。

サントリーHDさんは「天然水」や「プレミアムモルツ」など、飲料系の企業であることはすでにみなさんご存知でしょう。

なので、彼らにとって、解決すべき社会問題は「水」「健康」「気候」と認識しているようです。

これらの社会問題に取り組むことによるメリットは、ひとつは社会に対する公益性の観点から、もうひとつはその問題自体に取り組んでいるアピールという観点から考えられます。

ここでは、社会に対する公益性の観点で考察したいと思います。(これはビジネスのブログじゃないので(笑))

慈善原理と受託者原理

CSRの基本的な考え方を1つ追加しておきましょう。これは「CSRをやる理由=倫理的な理由」として考えられるものです。

中心となる考え方に、慈善原理受託者原理というのがあります。どういうものかは、下記にまとめました。

(参考:『CSRのマネジメント―イシューマイオピアに陥る企業』小山巖也著)

ここでは、あくまで「べき論」しか書いていないですが、より具体化してみましょう。

先ほどのサントリーの例を使います。

慈善原理とは、企業は恵まれている環境にあり、社会の一部として機能している以上、自分の利益だけでなく社会で困っている人たちを率先して支援していきましょう、というものです。たとえば、「安全な水とトイレを世界中に」というゴールにおいて、サントリーさんは水資源の保護を打ち出しています。それは、自分たちが水を使っている商品を作っているという責任とともに、社会において「水で困っている人たち」に、水資源の確保の方法を使ってより社会をよくしていこうという活動まで含まれています。水不足が今年も多いですが、それを企業活動によって解決しよう、それは誰に頼まれたわけでもないけど、水を使っている企業だから、それで困っている人たちを助けようというものであるわけです。

受託者原理は、株主や消費者、労働者のように、企業にお金や労力を払っている(委託している)のだから、それを受託している企業はその委託者に尽くすだけでなく、その周囲の人たちのことも考慮していきましょうね、ということです。たとえば、「すべての人に健康と福祉を」というゴールは、働いている人たちに労力を委託している以上、働いている人たちにしっかり健康を提供するということがひとつあります。一方で、一般の人たちによってお酒を買ってもらうということを通じて、健康に楽しく楽しんでもらうような努力を払う必要があると、企業が認識しているので、そのゴールを目指すための活動を、ただ商品に健康を訴求するのではなく、どういうふうに健康になってもらうかを委託されているのです。具体的に言えば、酒を健康に楽しめる方法や注意点を訴求することは、お酒を買わせる側として、買ってもらう人たちに「酒を健康に楽しめる方法や注意点」を発信することを委託されていると考えるのです。

長くなりましたが、慈善原理は「社会のひとつの機能として、社会で困っている人たちを助けるべきだという考え」、受託者原理は「企業は社会にいろんなことを受託しているので、その役割を果たすべきだという考え」と覚えていただければよいでしょう。

人間の社会的責任

ここからは、この考え方を個人というサイズにダウンサイジングします。ここでいったん、考え方を統一するのですが、「人間はおのおの役割があり、ハマる場所がある」という考え方から、社会的責任というのを考えます。また、「人間のキャリアは旅であり、パズルではない」というのも頭に入れておいてください。

人間のキャリア

なぜなら、ここから話すことは、「個人ができることから始めて、ひとつの目標・指標というのを考えるためのヒント」としてとらえてほしいからです。なので、限定してはいけないし、べき論だけを話してもいけないのです。人間には人間の人生がありますので、その人生でやることが思い浮かばないなんて言う人に書いているわけです。

改めて、企業の社会的責任は「企業が自社の利益を追求するだけでなく、自らの組織活動が社会へ与える影響に責任を持ち、あらゆるステークホルダーにとってプラスになること全般」と定義していました。また、慈善原理は「社会のひとつの機能として、社会で困っている人たちを助けるべきだという考え」、受託者原理は「企業は社会にいろんなことを受託しているので、その役割を果たすべきだという考え」と述べました。

では、個人に置き換えるとどうなるでしょうか?

個人は「自分の都合や損得ではなく、自分が動くことによって社会(これは家族というミニサイズでもいいし、国というビックサイズでもいいです)に与える影響や利益について責任を持ち、いろんな人たちにとってプラスになること」をやっていくべき、という考え方になります。

ただ、ここで抜けてはいけない視点として「個人が幸せか?」という視点があります。だって、自分が楽しいまたはワクワクしながらやらないと、人を幸せにできないでしょ?

しまさんは、人に与えていること自体を楽しんでいます。なぜなら、それがコミュニケーションを生み、それが楽しいからです。

関連記事

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なので、自分の損得が全くないかというと、そうもいかないので、そこは要注意でしょう。

そして、慈善原理に基づけば、「個人は社会のメンバーとして、困っている人を助けるべき」、受託者原理に基づけば、「個人は社会にいる人たちにいろんな支援をもらったのだからそれをお返しすべきだ」ということになります。

この考えでも、必ず抜けてはいけないのは「できることを探し、そこを突破口とする」という思考です。次の段落で実例を交えながら考えてみましょう。

個人は何を果たすのか?

あるワークショップでも、この考え方を使いました。その中で、「教育を変えたい」という人がいました。

彼は始め、ぼーっと教育を変えたいというくらいでした。でもこの考えをしっかり教えたら、「教育現場と企業やNPOのような専門力の高い人たちとをつなぐ人になりたい」とかなり具体化しました。

では、

  • 自分の都合や損得ではなく、自分が動くことによって社会に与える影響や利益について責任を持ち、いろんな人たちにとってプラスになること
  • そのためにできること、これからできるようになりたいこと

はどうなったでしょうか?

前者は、「教育の現場で自分がやれることは、教育学部出身ではない(彼は総合政策系でした)という強みやコミュニケーション力の高さを生かして、将来的には教育の現場を変えて、働きやすい環境というだけでなく、働きたいと思われる職業に変えること」と位置付けました。

これは、しまさん的に死ぬほどむずかしいし大変だとは思いました。でもそれをやるにあたって、なぜやるのか、についてはかなり追求しました。

彼は、受託者原理に基づいて、「高校時代の恩師に色々助けてもらい、それによって今の自分がある。だから、教育の現場にいる先生を助けていきたい」と答えました。それは、いままで教育によって支援されてきたのだから、恩返ししたいという気持ちになったのでしょう。

後者では、「自分は色んな交渉事が得意だったことを用いて、教育の現場と企業やNPOのような専門力のある人たちをつないでいきたい」と答えていましたが、しまさんは「じゃあ何からやるの?」と聞くと「ともかく、現場を知るために、先生にしっかりなることからかな!あとはコミュニケーションと、教育現場の問題についてより勉強したい!」という具体性のある(しかし実現性の高い)ことをしっかりまとめてくれました。

このように、何か大きいことを果たすことも大事です。

一方で、それはなぜ果たすべきなのか?社会にとって、あらゆる人にとってプラスになることか?というのを考える必要があります。

彼が考えたことは、教育現場だけでなく、その教育を受ける生徒や、企業、NPO、さらには国のサイズでも非常にプラスです。さらに、自分も教員だけでないキャリアを作ることができるという点でも大きいのではないでしょうか?

今一度、自分のやろうとしていることは「それはなぜ果たすべきなのか?社会にとって、あらゆる人にとってプラスになることか?」という視点で見直すのはいかがでしょうか?

まとめ

ここまで、社会的責任ということを説明してきました。企業の話をして、CSRの話をしたのち、「慈善原理と受託者原理」について述べました。そして、それは個人の単位まで落とし込むとどういうことなのかについて語りました。

個人は、いま「何のために働くの?」「何をすればいいの?」と考えることが増えました。これからも増えるでしょう。なぜなら「人間からAIは仕事をとっていくでしょう」から。だから、人間ができることは、ここまで成長してきたことに対して感謝して、社会に対して責任を果たしていくということ、そして自分が幸せを感じることでしょう。

この記事では教育といういかにも公益性が高いものを投下しましたが、ゲーム実況で楽しませるということも社会に影響を与えますし、プラスにすることは十分可能です。

さあ、「人間の社会的責任」のために、まずは考えよう。

>>>ゆるっと社会貢献について考えたい人は「ドラえもん」式社会貢献も見てね

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