お寺 は「日本の寄付文化」を攻略せよ【#FRJ2019】

先日、「ファンドレイジング・日本2019(通称FRJ2019)」という、NPOや社会貢献事業に携わる団体の資金集めや広報の技術である「ファンドレイジング」のカンファレンスに参加してきました。

その時に、「 お寺 でもこのノウハウや考え方は応用できるし、これからのお寺に必須だ」ということに確信を持ちました。

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今回は、参加してきた分科会(セッション)から、お寺に応用できることをひとつシェアします!

ここでは「日本古来のファンドレイジングと共助の仕組みとは~共生社会の実現を歴史から紐解く~」のセッションを引用しつつお送りします。

「最近、お寺の収入が減ってきてしまったんだよね…」

「お寺でお金を集めるっていうのは正当なものなのかね…?」

とお考え、お困りの方にぜひ読んでいただきたいです!

ここでは「日本型寄付」をお寺がフル活用するにはどうすればよいか、という話をします。

お寺 と「寄付」

お寺への寄付

そもそもお寺に寄付なんてあるのでしょうか?

あるんです。

だって、普段からもらっている「お布施」って寄付のことですから。

その「お布施」というのは、お寺が守っている御仏様の「おかげさま」に感謝して、御仏に向けた寄付なのです。

で、寄付することによって、お寺が守られて、お寺が守られることで地域を見守る御仏様が守られる。

そういうお金の流れであったから、お寺へのお布施は「寄付」と言い切れるのです。

お寺への寄付は、少しずつ減少傾向にあります。

裏付ける数値もちゃんとあります。

個人が寄付した総額が集計されているのですが、その中でも「宗教関連」に寄付した金額が明らかに減少しています。

下記の表は、寄付総額と宗教関連への寄付額の比較で、2012年度の調査と2016年度の調査とを比較しています。

2012年度調査2016年度調査
個人寄付総額6,931億円7,756億円
宗教関連への寄付総額2,287億円1,632億円
宗教関連への寄付総額の全体に占める割合32%21%

※2012年度数値は内閣府資料、2016年度数値は「寄付白書2017」(日本ファンドレイジング協会)より

寄付総額は増えているのに、宗教関連への寄付総額は減っています。

何を意味するのか。宗教関連(もちろんお寺も含まれます)は一般の人にとって、社会貢献をしているという共感を得られなくなってきている、ということをダイレクトに示します。

言い換えると、「御仏を守るお寺に寄付しても、社会は良くならない」と思われ始めているということです。

でも、お寺側からすれば「社会貢献しているぞ!」「御仏を守っていくことで、衆生を救うのだ!」と考えての活動に「共感が得られない」という状況は正直意味不明に感じるのではないでしょうか?

違うんです。

共感を得る方法を身につけていないからそうなるだけです。

その技術のことを「ファンドレイジング」と呼ぶのですが、これからでも「共感を得ること」は十分可能です。むしろポテンシャルだらけという見方もできます。

そうです。共感を得る方法を身につければまた寄付は集まるのでは、という仮説であります。

であるなら、「お寺のファンドレイジング」をする上で知るべきは「お寺が寄付を集められていた頃の状況と考え方」と考えました。

さて、ここからが本題です。

「日本型寄付」とは?

よく、「欧米には寄付文化が染みついているが、日本にはない」なんていう言説があります。

しかし、ホントはそんなことはなくて、「日本型寄付」というものが存在します。

ここから詳しく、セッションの内容をもとにお伝えします。

「講」的組織

日本において、昔から「講」が生活に密接にかかわる、重要なコミュニティでした。

本来は「お坊さんのもとに集まって、講説をお伺いする」コミュニティのことを「講」と呼んでいました。

そこから、共助組織やお金を出し合って何か事業やイベントを進めるという「社会講」「宗教講」「経済講」が成立しました。

このような「企画」や「事業」などに集まる「講」には、「身分の差が存在しない、フラットな組織である」ことと、「組織目的のために最も効率よく動かすための工夫よりも、楽しく仲良くすることを重視した組織である」ことが特徴にありました。

そのため、「お互いに助け合うこと」「社会貢献すること」が自然に発生するようになっていました。

そして、その「新たな講」においては、その企画や事業を動かす「ダレカ」がいて、それの動きや理念に対して、「助けたい」という思いが可視化されたのがお金となり、それが「寄付」と考えられるのです。

つまるところ、「日本型寄付」の基本は「コミュニティの中における助け合いの中で生まれた寄付」であり、言い換えれば「コミュニティファンディング」であるわけです。

では、その「日本型寄付」の具体例を引用して、お寺に活用できる部分がないか、を探ってみましょう。

「日本型寄付」の「かきくけこ」

具体的な日本型寄付を説明するときに、それぞれの頭文字をとって「かきくけこ」でまとめている方がいました。

(セッションの内容はこちらのリンクもご覧ください)

軽く記載すると、

「か」→勧進、下賜金

「き」→キリスト教、義捐金

「く」→クラウドファンディング

「け」→憲法89条(現行憲法)

「こ」→講とコミュニティ

CANPANの山田泰久さんのセッションより

ここでは、その「かきくけこ」の中でも「勧進」「講とコミュニティ」がお寺との親和性が高いので、取りあげようと思います。

勧進

勧進とは、仏教の教えを説いて、いうなれば「御仏様がいかにすばらしいものか」を広報し、その御仏様を守るためにお寺や仏像の修繕費を寄付で集めることをいいます。

このとき、教えを説くお坊さんは「ファンドレイザー」なわけです。

御仏を信じることがあなたを含めた社会の幸せにつながりますよ、だから守るために寄付していきませんか?というファンドレイジングだったのです。

これをお寺や仏像だけでなく、橋や病院などの建設にも応用したのが行基上人です。

行基上人は全国を回り、仏像やお堂だけでなく、貧民救済や治水、架橋などのいわゆる「公共事業」まで勧進してもらい、ボランティアとともに事業を成立させた、日本仏教界最古かつ最強のファンドレイザーです。

この何がすごいかというと、それまで「お坊さんとは神聖たるものだ」と敬遠されていたところから、僧俗混合の集団を作り、社会事業を成立させるような「圧倒的な開放性」があったのでは、と考えられます。

今の時代、「公共事業」のレベルの社会事業を実施するお坊さんはほとんどいない(と思ってます)と考えると、当時いかに社会事業の担い手が足りていなかったか、そして行基がお坊さんの「公共性」や「公益性」に気が付いて動いていたか、と考えるとすばらしい事例です。

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これからのお寺は、地域のNPOとの連携などを通してセーフティネットになることや、お寺の中で事業をスタートすること、それに対して寄付を募る、その理念の中央に仏教を据える、という形で「現代版勧進」をすることは全然アリかと思います。

講とコミュニティ

講については、先述したような成立背景がありましたが、これからの日本において「コミュニティファンディング」は重要なキーワードになります。

講についてはこちら>>

講の中では、お金や想いが「たすけあい、わたしあい」のもとでやり取りされます。

例えば「伊勢神宮にお参りに行く」という目的を果たすために構成された「伊勢講」。その講の中では、代表者が決められて、その人のためにみんながお金を出し合って、自分たちの幸せの分も祈ってきてほしい、という思いで送り出します。

では、それが現代版になるとどうなるか。最たる例は、ここ最近盛り上がってきた「クラウドファンディング」でしょう。

このように、「このゆびとまれ」で出来上がったコミュニティの中でお金や想いをやりとりすること「コミュニティファンディング」です。

結局、日本に存在する寄付文化とは?~「恩」を送る~

日本型寄付とお寺ここまで、日本型寄付について、お寺に親和性が高い「講」「勧進」「コミュニティファンディング」を軸に説明しました。

では、「日本の寄付文化」とは何でしょうか。

それは、

「恩を送ること」

と言えます。

それは、「先祖の供養」と近いものがあります。

「先祖の供養」をするのはなぜでしょうか?それは、先祖がいなければ自分たちが生まれ育つことができなかった、そのことへの恩を返すためです。

しかし、ご先祖様に直接恩を返すことはできません。となればどうするのかというと、「次の世代に恩を送る」のです。

具体的には、「土地を守っていく」「教育を施し、人生を歩めるようにする」などが挙げられます。

それは、コミュニティの中でも同様で、「自分のような人を入れてくれた恩返し」であり、「やりたいことがある人」に「恩を送った」、その恩が可視化されたものがコミュニティの中でのカンパ(=寄付)だったのです。

そして、これは利他であり、「功徳を積む」という意味合いで自利にもつながるものと考えられました。(現代では「信頼貯金」ともいいますね)

この「恩を送ること」がまさに日本の寄付文化ではないか、そのような考察に至っていました。

お寺は「日本の寄付文化」を攻略せよ

お寺は日本型寄付を攻略せよ

最後の結論として、お寺ではこのような「日本の寄付文化」を攻略できる形のファンドレイジングをすべきでしょう、という話を。

日本の寄付文化について、再度まとめると

〇コミュニティの中での「想い」と「お金」のやり取りが「日本型寄付」であり、誰かのために助け合う文化が醸成されたためにできあがっていた

〇先祖から自分へ、自分から下の世代へ「恩送り」という概念が日本の寄付文化と言える

の2つが言えます。

では、お寺は「日本の寄付文化」を攻略するためにどうすればいいでしょうか?

いくつか考察してみます。

現代版勧進

1つは、文中でも少し触れましたが、お寺が勧進の制度を再設計してやり直す、ということが考えられます。

地域のNPOとの連携などを通してセーフティネットになることや、お寺の中で事業をスタートすること、それに対して寄付を募る、その理念の中央に仏教を据える、という形です。

このような現代版勧進は、すでに形になっているものもあります。

例えば、劇場型寺院の應典院さんの「NPO法人應典院寺町倶楽部」。ここでは、お寺という場所を使って、文化発信活動や「生きること」に関連した活動をしています。その中での会員は年会費といった形で、寄付を募り、その寄付と事業の収入で活動を賄っています。

應典院さんが利他的な社会事業を、お寺の「仏教的文脈」で進められている好例でしょう。

「恩送り葬」の設計

もう1つは、セッションの中で紹介された「恩を作る基金」を個人が始めて、そこに募金いただき、寄付につなげる、まさに「恩を送る」イベントの企画を応用したものです。

セッションの中で、「生前葬」として、ご自身の縁のある方に「謝縁会」という形でイベントを開催し、会費の一部と会場寄付でなんと150万近く集めております。

これが「恩を送る文化」を活用し、「その人を中心としたコミュニティの中での寄付」につなげた好例です。

参照:パブリックリソース財団のオリジナル基金

しかし、これをやっているのがお寺でないのが悔しい限りです。

ですから、お寺も今後、「恩送り葬」の設計をして、地域活動への寄付につなげることや生前に相談に来た方向けへの提案などを考える必要があるでしょう。

 

あくまで一つの考察にすぎませんが、お寺のアップデートという点では、非常に興味深いのではないでしょうか。

ただやみくもに新しいことをやって、「お金がない」「人がない」という状態はお寺にとっても、それを支える檀家さんや地域にとってもよくないことです。

であるならば、まずは「共感を得た結果」である寄付をしっかり集められるような、お寺の存在価値を見せていくべきではないでしょうか。

その一つとして、今回は「日本の寄付文化」を攻略せよ、というテーマでお話させていただきました。

 

お寺のファンドレイジングについてはこちらもごらんください>>

 

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— しまさん@お寺をアップデートしよう (@shima_sun_0) 2019年5月18日

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