とりあえず、 お寺 を見に行ってみよう
もくじ
「 お寺 」に行くことはハードルが高い?
以前から、 お寺 がなんか不思議なもの、というものを脱却したいという思いからいろんなことをブログに書いて、「 お寺 はこう変わっていこう」ということを書いてきました。
しかし、最近ふと思ったことがあるのです。
「そもそも町の お寺 に来ることがハードルが高いと感じるのでは?」と。
私はお寺めぐりが好きなのですが、ちゃんとした観光・参拝用に作られているお寺(例えば、身延山久遠寺や永平寺)であれば、人も多いですし、そもそも門前町としていろんなお土産屋さん(代表例は浅草寺ですね)やお宿(宿坊)が並んでいます。レストランも多いですね。
ただ、普通の、町のお寺はそうとは限りませんね?私の実家もそうです。
原因は、その近寄りにくさでほぼ説明できると思います。普通のお寺に、お寺の人や檀家・信者さん関係者以外にスススっと行ける人は少ないでしょう。まわりの人に「お寺っていくことあります?」という質問をすると「葬式の時くらいかな~」とか「この前、浅草寺行ったけどね~」とか、そういった返事が多いです。
また、世はパワースポット巡りブーム、御朱印集めブームですが、実際に巡ってる人の話しぶりは(個人的には)珍しいものをゲットする感覚のようです。ポケモンみたいな?それでも全然OKですが…笑
町の お寺 にお世話になろう
私が言いたいのは、「普段から支えになるようなお寺を持つといいよね」って話です。
私はお寺を出ていってしまいましたが(お坊さんではないですからね)、通勤経路で通るので、必ず合掌して通過します。「行ってきます」と。そのくらいの軽さでいいのです。
それは結構何気なくやっているのですが、なんか心が切り替わります。思いっきり二日酔いの朝、前日モンスター飲んだせいで寝れないまま迎えた朝、そんなときでもです。
そう、この「なんか安心する」でいいのです。
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なにも、お寺の檀家になる、とか仏教の勉強する、とかフルコミットする必要ないんです。
もちろん、仏教経典には、普段の生活を幸せにするコツが書いてあったり、マインドフルネスにつながるような事が書かれたりしています。現代語訳とかで法華経や般若心経を読む、というのは全然ありです。
でもね、お寺にちょっとお参り、お坊さんにちょっとお話、お祭りにちょっと参加、そのちょっとでいいのです。
お坊さんは、ちょっとした近況報告でもうれしいものです。(忙しいときもありますけどね)
普段から会っている人は、お坊さんも変化や調子の悪いところを察知するはずです。
ことさら、若者は分かりやすい(らしいですよw)ので、人生に迷ったら行く、よりも普段からお世話になっていることで相談もしやすいし、声かけもしやすくなるんでは?
と、ここまで書いて、とあるTVCMを思い出したので、ここに掲載しておきますね。
このCMでも言っているのですが、「なんか来ると安心するんっすよねw」というのが大事です。だって、それこそが「お寺の役割」のひとつですから。
まあ、とりあえず1寺。
お寺にもいろいろあります。大小さまざま。もちろん、小規模のお寺で80%を占めているでしょう。そして、お坊さんもさまざま。いろんな人生観があって、いろんなお悩みと付き合って、でもやっぱり毎日祈って。
だから、近所のお寺にふらっと来て、お参りだけでも、たまにはお坊さんに話に行ってもいいです。そこで安心してください。世の中、いい子と悪いことさまざまありますから。たくさんお寺のお世話になって、その良さをいろんな人が感じていって、その輪が広がってほしいと願うばかりです。
1995年神奈川県川崎市のお寺生まれ。中高は全寮制男子校に6年間通い、その後横浜国立大学経営学部にて「宗教法人の情報開示 ~公益性の観点から~」をテーマに、ソーシャルセクターの中の宗教法人の情報開示を、公益性・社会性の観点から評価し、開示する方法を研究。その後はコンサルティング会社で働きつつ、「#お寺をアップデート」を合言葉に、お寺をソーシャルグッドな存在にするための方法や、お寺のこれからのカタチを発信している。また、実際にお寺の現場に訪問し、お寺のアップデートを実際に手伝うことも。詳しいプロフィールはこちら>>
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