お寺 3.0 #お寺をアップデートしよう。
もくじ
お寺 をアップデートしよう。
日本の お寺 といえば、今はどんなイメージでしょうか?
「仏さまをまつっているところ」「お坊さんがいるところ」「お葬式の時にお世話になるところ」などなど、いろんなイメージがあると思います。
では、今のお寺の形が、昔からある形のまま、なのでしょうか?
実際のところ、お寺は2回、社会的な役割を変えてきています。
今回は、その社会的な役割の変化について、お寺1.0「生活と同居するお寺」からお寺2.0「葬式仏教としてのお寺」、さらにはこれから考えられるお寺3.0「救いで社会貢献するお寺」について解説したいと思います。
※なお、この記事でのお寺の変化は、あくまで役割としてのお寺の変化であり、歴史学の仏教の変容とは異なった変化の解釈をしています。
お寺 1.0「生活と同居」
最初に説明する、お寺1.0は、「生活と同居」しているお寺のことです。
当時は、お寺が中心になって町を形成したり、農家コミュニティを取りまとめたりしていました。
「ゆりかごから墓場まで」というのは、文字通り、人の人生の中でお寺が関わっていた時間の長さを端的に表現しています。
なぜなら、生まれたときはお坊さんに名前を授けてもらい、寺子屋に行って読み書き+道徳を学び、お寺の境内で遊ぶ。
大人になったら、親との関係がうまくいかない、お金がなくて困っている、など悩みや相談を持って行く。
普段からお寺でお参りして、商売繁盛や無病息災を祈る。自分が老いて長くないと考えたら、お坊さんに葬儀はどうしてほしいか、死ぬことは怖いのでその相談をする。そして、死ねばお坊さんに葬ってもらう。
本当に、「ゆりかごから墓場まで」であったのです。
なので、先祖に感謝するのも、お坊さんが伝えて、実際に先祖がイメージ出来て、その人たちの子孫であることを感謝するという考え方があったのです。
加えて、お寺は、お坊さんをオーナーとしたコミュニティを作っていました。これがいわゆる「檀信徒会」です。
そこに所属する人たちは、会費や布施を通して、お寺が提供する「悩み相談」や「葬儀・お墓の供養」を受けられるというもので、いわゆる寄付の元祖のようなものです。
しかも、江戸時代などは、お寺が集会場になったり、寄り合いの場所になったり、場合によっては一揆の決起会場になったりと、場所の提供という位置づけもありました。
しかし、これは江戸時代までで終わってしまいます。近代化の流れとともに大きな変化が訪れます。「廃仏毀釈」と「葬式仏教の誕生」です。
お寺2.0「葬式仏教」
明治時代の近代化で、天皇が神様になり、それ以外の神様は、「神道の神様」を除いて全てペケということになりました。
その影響は仏教も見事にあって、本尊をぶっ壊されたお寺が多数あります。もちろん、お寺自体を敬う文化は一気になくなります。また、コミュニティも廃藩置県や戸籍整理などで、崩壊していきます。
そして、お寺は「生活と同居」するものではなくなりました。もちろん、地縁が強い地域では残っていましたが、都市部を中心に崩壊しています。
そんな大逆風が吹いた時代、苦肉の策としてでてきたのが「葬式仏教」です。
江戸時代までは、それ以外の部分もコミュニティにいるメンバーに対していろんな価値を提供していました。しかし、寺院への依存が減り、神道の掲揚や新宗教の登場により、祈りとしての寺院の強さは弱くなりました。
しかし、その中でも、お墓の管理や永代供養をするのは、お寺だけの役割でした。そこで、葬式に対して付加価値を多くつけることで生き残りをかけたのです。葬式の時の祭壇やお墓、様式が豪華になったのもこの時期です。(『葬式は、いらない』島田裕巳著より)
コミュニティの崩壊は起きていて、実質ないようなものでしたが、檀家は「お墓を管理・供養し、親族がなくなれば葬儀をするための会員」に変化し、檀信徒は「そこだけのつながり」に限定されることとなりました。
その流れは大正、昭和、そして平成まで続きます。
ところが、現代は葬式仏教の否定、ともとれることが発生しています。
それは、「直葬などの葬儀様式の簡素化」です。祭事費用は平成に入り、年々減少傾向にあります。
エンディングデータバンクによると、火葬式(火葬場で火葬だけ行い、前後に葬儀を行わない形式)が一般葬より2015年から上回っていることが非常に興味深いです。つまり、「もう葬儀にお坊さんがいなくてもOK」という意識が生まれてきているわけです。
そこで、僕が考えるのは、「救いで社会貢献」するお寺という、次の形です。
お寺3.0「救いで社会貢献するお寺」
ここまで、お寺の変化をお寺1.0「生活と同居するお寺」、お寺2.0「葬式仏教のお寺」ととらえて説明してきました。ここから提案するのは、お寺3.0「救いで社会貢献するお寺」という次の社会的役割を持ったお寺の形です。
そもそも、「救い」って何だろう?「社会貢献」とは何だろう?という疑問があると思います。
僕が考える、「救い」とは、「安心」「不安から解放された状態」だと考えます。
例えば、「普段から、自分はどういう生き方をすれば考えているんだけど、いまいち納得の答えが出てこない。でもお坊さんのところに行って、いろいろ話をしていたらすっきりした!」のような感じです。
ここで書きたいのは、「救いをひとつのコンテンツとして、1つでもいいのでお寺のお坊さんがもっていることで、いろんなパターンの人を救えるのではないか」ということです。
よく言われる言葉に「個人の価値観が多様化した」というのがあると思うんですけど、同様に「個人の悩み」もかなり多様化しました。
例えば「進路の不安」も、「どの大学に行くのか?」だけでなく「大学に行くべきか?」も増えていますし、「どの会社に行くのか?」じゃなくて「起業しようか?」なんていう人もいます。人生の選択肢は増えたと思うし、実際それで救われている人もいるはずですが、とやかく悩む人の方が目立っている気がします。
そこにおいて、お坊さんが相談にのるというのは意味があるし、それこそが「救い」を与えることに近づくのではないでしょうか?選択肢を選ぶのは、その人自身であっても、それにヒントや、ひいては「救い」としての道しるべを示せるのは、お坊さんのような存在だと思うのです。
悩んでいる人への処方箋は、ただ「相談にのる」だけに限りません。
「写経してたら落ち着いちゃった!」という人もいるので、そういう人には写経体験をしていただいてもいいと思います。
「なんかこのお坊さんのツイート、自分の将来を考え直したくなる」という人がいるなら、つぶやきまくればいい。「救い」の形は何でもOKです。それによって救われる人がいるのであれば。実際、キャラを前面に出すことでいろんな人を救っているであろうというお坊さんもいます。
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救い方は何であれ、お寺はより社会とかかわりを広く取り、そのかかわりのどこかでかかわった人が救われる。そのような形がこれからのお寺の形として必要だと考えます。
ある意味、お寺1.0に「原点回帰」に近いものがあります。生活密着型のお寺を目指すという方向性において。
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そして、その「救い」をたくさん生むことで社会貢献するのが次のお寺の形ではないでしょうか?
現状はカオスな状態?「お寺2.5」
しかし、現状、この「お寺3.0」になるまでの過渡期と言えます。本当に、色んなことを試している段階です。
例えば、インターネット寺院「彼岸寺」。
彼岸寺の概要については、下記のように述べています。
彼岸寺は、お寺というものは「無数のご縁の集積」によって成り立ち、同時に「誰もが自分の仏教を語り、共にできる場」であると考えます。だからこそ彼岸寺はお寺を名乗っているのです。
彼岸寺は誰もが、一人ひとりの仏教をのびのびと語り、共有できる、そんなお寺です。「彼岸寺とは」https://higan.net/about/
いわゆる、仏縁に出会う、作る場所として、ポータルとして機能しています。実際、お坊さんによる仏教のコラムや、イベント情報などが掲載されています。
また、これを一気にライトにしたものが、「フリースタイルな僧侶たち」です。こちらは、お寺のお坊さんがクローズアップされていて、「テクノ法要」「僧によるプレイリスト」のような、お坊さんと世の中をライトにつなげるメディアです。
これらは、お寺やお坊さんを世の中に近づける取り組みと言えます。それは、「救い」を生むためにまずは大衆の人に近づいていくということからなのかもしれないという危機感から生まれた活動と言えます。
加えて、下記のようなものもあります。
吉田武士さん(カレー坊主さん)監修のレトルトカレー。詳しい説明はリンクに乗っていますが、コンセプトはこんな感じ。
カレーならきっとみんなを笑顔にできるはず。
そんな思いを抱いた全国のカレーが大好きなお坊さんが宗派を超えて集まりました。そして生まれたのが「ほとけさまのやさしい精進カレー」。肉・卵・乳製品・白砂糖・化学調味料を一切使わず、野菜やスパイス、昆布や味噌など日本の伝統調味料でつくった精進レトルトカレーです。
自分の好きなカレーで「救い」を、という気持ちが強いのかもしれません。幸せを!というメッセージもあるでしょう。
こういった、いろんな活動が発生することはいいのですし、「どのお寺も救いを生むインフラになる」というのにもつながるといえます。これからも、いろんな活動が生まれては消え、最終的にしっかり残るものが何かかしら「救い」を与える、または「幸せにする」という精神的な価値を生むものになると考えます。
だから、お寺3.0「救いで社会貢献するお寺」というのがひとつの到達点ですし、それまでの今の流れはお寺2.5といえるのです。
進化するためにお坊さんも
ここまで、お寺の変化から、イケてるお寺を考えてみました。
これからはお寺3.0「救いで社会貢献するお寺」と書きましたが、お坊さんも今までのお坊さんのキャリアの作り方とは異なってくるでしょう。
今までは檀家コミュニティをしっかり保持すればOKでしたが、これからはもっと若者のコミュニティを積極的に作っていく必要があります。もし変えたければ、アップデートしたければ、若者にいろいろやってもらうのが一番手っ取り早いと思います。
加えて、これからのお坊さんは会社員出身とか、司法書士資格保持者とか、はたまた元ヤンキーとか、別のキャリアを積んだ人がなるのがよいでしょう。千葉の本光寺さんのCMに出てくる人は明らかヤンキーですが、そういう人が救われるのはもしかしたらヤンキー経験者のお坊さんかもしれないですね(笑)
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僕も、コンサルの会社から退いたときには、お坊さんか、寺務員として、お寺を広めながら、お坊さんのブランディングとか「救いのパッケージ化」とかやってるかもしれません。ついでに、会社員ならではの悩みを「救う」人になりたいですね。
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— しまさん@お寺をアップデートしよう (@shima_sun_0) 2019年5月18日
1995年神奈川県川崎市のお寺生まれ。中高は全寮制男子校に6年間通い、その後横浜国立大学経営学部にて「宗教法人の情報開示 ~公益性の観点から~」をテーマに、ソーシャルセクターの中の宗教法人の情報開示を、公益性・社会性の観点から評価し、開示する方法を研究。その後はコンサルティング会社で働きつつ、「#お寺をアップデート」を合言葉に、お寺をソーシャルグッドな存在にするための方法や、お寺のこれからのカタチを発信している。また、実際にお寺の現場に訪問し、お寺のアップデートを実際に手伝うことも。詳しいプロフィールはこちら>>
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